ジョン王

御園座ジョン王の観劇に行ってきました。シェイクスピア作品見るのは初めてで長セリフが多い上にそもそもセリフ量も多く、難解で嚙み砕くのは時間を要しそうだけど今の自分の感想をまとめておきたくてメモ書きとして残しておきます。

コロナ禍で中止を余儀なくされ、2年半の時を経てようやく上演することができたジョン王。その間に世界情勢は大きく変わり、それによって演出プランも変更されたそうです。戦争を描いた戯曲において今尚終わりが見えない中では前と同じにはできなかったのでしょうね。それはわかってるけど、以前の演出プランだったらどんな舞台になっていたのかなとはやっぱり考えてしまいます。でも世界は元には戻らない、故に元々の演出プランのものを見ることは絶対にないのです。その不可逆性が辛い。

始まりと終わり、一幕のラストの演出には驚かされました。こういうのってありなんだって。特に終わり方には驚きました。でもこれは、このご時世あってのものなんでしょうね。銃口を向けられるのは武器を持った人間だけじゃない、武器も持たぬ私たちにも構わず銃口は向けられるのだ。無関係じゃないし他人事ではない、他人事になんてしちゃいけない。そういうことなんだなあと私は解釈しました。

ミュージカルではないのに歌が使われてるのは好みが別れるだろうなあと感じました。私は嫌いじゃないけどね。小栗旬の歌が聞けると思ってなかったのでお得に感じてしまった私は歌がダメって言えないもの。あそこで芝居が部ちぎれになっちゃうと思う人がいてもおかしくはないので本当に好みの問題ですね。

私は元々の上演予定の時はチケットを持っていなかった人で鎌倉殿を経た小栗旬の芝居が見たいと思ってチケットを取った人です。殺陣があったり鎧着たり生首持ってたりとちょっと義時思い出しちゃったよね。生首は首桶にしまってーとか思ったり。生の小栗旬は華が半端ないし当たり前にかっこよかったですわ。そして声がいいですね。テレビでも舞台でも映える俳優さんだなあと思います。

ジョン王は御園座から吉田鋼太郎が演じてるんだけど、吉田鋼太郎が演じてるからかすごく自由な人かつ魔王感ある感じがしました。後半は愚かで弱き王へと変わってくんだけど人間の浅くて愚かなところを表現されてたなあと感じました。

体調不良による降板があり御園座公演では急遽山本尚寛さんがルイ皇太子とヘンリー王子両方を演じられてたんだけど、よくこの短い間に仕上げてきたなと思いました。めっちゃ大変だっただろうに。白石隼人さんの皇太子が見れなかったのは残念だけど、山本さんも素晴らしかったと思います。役者さんってすごいな…。

以下ネタバレをしてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭、赤いフードを被った青年が通路から歩いてきて舞台へと上がり芝居が始まります。ええ、小栗旬が私の数メートル先を歩いて行きました。びっくりしたわ。青年は舞台上でスマホで写真を撮ったりなど至って現代っ子なのです。その青年が12世紀のシェイクスピアの世界へと迷い込み、彼は私生児フィリップとして生きるのです。そして物語は閉じ、カーテンコールが始まるのですがフィリップだけは微動だにせずそのままたたずんでいる。彼以外が去ったところで銃を持った兵士が現れ、銃口をフィリップへと向ける。彼は武器を置き、鎧を脱ぎ捨て冒頭と同じ赤いパーカー姿になり、フードを被って登場した時と同じように通路を通って帰っていった。その間銃口はずっと向けられたままである。やがて銃口は客席に向けられる。

そう、この物語は現代の普通の青年がジョン王の世界に迷い込み、やがて現代へと帰っていくという構造になっているのです。その意味するところはと言えば、歴史は繰り返すであり過去のものではないであり、現代と過去は地続きであり、無関係ではないということ。

途中、人形や肉塊が脈絡なく何度となく落ちてくるんだけど、それもまた戦争による犠牲者を表してるわけで全般的に反戦色を押し出した舞台になっていました。一幕ラストで吊り下げられた人形たちが出てくるのもまた、同じ意味合いだろうし。戦争によって子供を奪われた母親の悲しみをコンスタンスに託してるわけで。

私が不勉強だったせいでもあるんだけど、思ってた以上にメッセージ性を打ち出した演出になってたなあと思います。パンフ読むとストレートにその話もしてるしね。一人一人ができることは限られてるけれど、ちゃんと考え続けることはやめたらダメなんだなあと感じる。せめて、それぐらいは続けなきゃだよね。