芸のためなら亭主も泣かす

芸のためなら亭主も泣かす

芸のためなら亭主も泣かす

痛い、痛すぎるのだ、中村うさぎは。こんな痛い人ってそうは見つからないっていうぐらい痛い。買い物依存症のころは本を読んでただ笑っているだけだった私だけど、彼女の変化とともに単純に笑ってはいられなくなりました。特に自意識について書きだしたあたりからは読みながらときには笑い、時にはひやりとするといった塩梅です。だってだってだって。私も同じなんだもの、脳内にツッコミ小人を飼ってる人間なんだもの。でもって痛い人間なんだもの。

他人の視線をまったく遮断して生きることなど不可能だし、その視線に自意識が揺れ動くのは当たり前ではないか。てゆーか、もしも揺れ動かない人がいたとしたら、それはそれで「客観性のない人」であって、とても他人と共存しにくい人物だと思うわよ。「客観性がない」ということは「他人の気持ちに対する想像力が働かない」ということだから、他人の痛みも共有できないコミュニケーション不全者になってしまうのよ。そんな人間、はたして幸福かしら?

コミュニケーションについては私も思うところがあって、なるほどこういうのも一つの考え方かと思いました。客観性って大事ですよね。