スロウハイツの神様

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

私は「涙があふれて止まりませんでした。爽やかな感動をあなたに(仮)」だとか「泣きたくなったら読んでください。熱い涙が流れる感動の物語がここにあります(仮)」みたいな帯が大っ嫌いというかわいくないひねくれ者です。まあ、基本図書館ユーザーなので帯知らずに読んじゃってることもあるんですけどね。で、この『スロウハイツの神様』はそんな私が読んで泣いた本です。正直、上巻だけなら普通の小説で下巻読んでもたいして思い入れが持てる本にはならないんじゃないかなーと思ってました。けれども最終章では気がついたらじんわり涙がにじんできました。いつ以来だろう、小説読んで泣いたのって。思い返してみたら『子どもたちは夜と遊ぶ』以来でした。辻村作品の涙腺刺激度は半端ないです。自分でも驚きでした。
スロウハイツの神様』は辻村作品には欠かせないスパイスである悪意を盛り込みながらも、それ以上に優しさと温かみにあふれてる作品です。そう、それはまるでおとぎ話のよう。たくさん張られた伏線がきれいに回収されていく様はお見事。正直、伏線の中にはいくつかわかっちゃったものもあるけれど、でもそれは話の面白さには全く影響なかったです。だって誰かが言ってたけれど、物語のひな型っていうのは出尽くしていてそれをどう見せるかが大事なわけなのだから。先が読めるけど面白い話は腐るほどあるし、先が読めないけれどもつまらない話っていうのも腐るくらいたくさんあります。
上巻を読み終わって下巻に入った途端、ページをめくる手が止まらなくて、でも読み終わるのがもったいなくて読み飛ばさないように一生懸命読みました。読み終わった先から最初に戻って伏線確認をしたけれど、ああすべては最終章「二十代の千代田公輝は死にたかった」のためにあったんだなあと思いました。ここで回収される伏線というのが素晴らしい。読んでよかったって心から思いました。きっと私はこの先何度も読み返すのだろう。

「まあ、なんていうか。あらゆる物語のテーマは結局愛だよね」

使い方次第ではすごく薄っぺらい言葉になっちゃうのに、この場面でこのセリフっていうのがすごくよかったです。確か舞城王太郎が『ディスコ探偵水曜日』で結局は愛だよねみたいなことを書いてた気がします。そう、愛って大事だよね。