スリースターズ

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ものとお金だけは与えられてるけれど愛情が全く与えられておらず、死体の写真を公開するブログをやってる弥生。育児放棄をされてまともに食事にすらありつくことができずにいる上に「体売って稼いできな」と母親に言われている愛弓。親に5分単位で時間の使い方を管理され、親の理想通りの人生を歩むことを決定づけられている水晶。中学2年生のそんな3人がネットとケータイを通して出会い、集団自殺を試みるも失敗してテロリストになろうとする話。
途中までは3人の置かれている状況が辛くて読むのがきつかったです。これYAなんだよね? それにしてはひどくないかいと。幸福な人は皆一様に幸福だけど、不幸な人は皆違った形で不幸であるっていうののいい例だなあと思ったけど、でもきつい。初めはそう思ってたけれど、徐々に物語が進んでいくにつれぐんぐんひきつけられていきました。
子供は親を選ぶことはできない。上っ面だけ見れば弥生は愛弓よりずっと幸せなんだろう。親は社長でなんでも好きなようにできて。愛弓のように給食が生命線ということもないし。でも心は全然満たされていない。

「ヤヨちゃんてさあ、嘘つきでプライドが高くって、そのくせ寂しがり屋なんだよねー。こんなゲームなんて、わざと負ければ、すぐ終わらせられるのに、いつまでも必死で食いついてくるんだよ。いっつもつまらなそうにやってるのに、ヤヨちゃんからは絶対にやめないんだよ。きっと本当は誰かと一緒にいたいんだろうなー。なのにどうして嘘をつくんだろうね」
中丸トモは、学校での弥生ことを、嘘つきという言葉ではなく、幽霊みたいだと言っていた。宮入弥生という人は、学校では幽霊みたいに“死んでいる”ということだろうか。じゃあ、どこでなら、“生きて“いられるのだろう?

どこに行っても居場所がない弥生。3人の中で最も救ってあげなきゃいけない、そして救って欲しいと思っているのは弥生なのだろう。3人の中で仲間を信じることができなかった弥生の闇は深くて覗きこむのが怖いくらいです。生きてる実感がつかめずにふらふらしている様は痛々しさそのものでした。

わたしが壊したかったのは、自分の中に閉じられた感覚だったのかもしれない。(略)
そして、わたしがわたしであるということを、わたしがどうしてわたしなのかを、わたしたちは長い時間をかけて考えていかなくてはならないのだ。

わたしも10代の頃、こういうことを考えてた時期がありました。いまだにはっきりとした答えは出ないけれど、薄ぼんやりとはわかってきたような気がします。
最初はYAにしてはどぎついなあと思っていたけれど、ラスト付近にきてやはりこの本はYAでなければいけないのだと感じました。悩んだり苦しんだり迷ったりしている子供たちにこそ、必要な本なのでしょうね。最後が尻切れトンボっぽい終わり方だけど私はこれでよかったのだと思います。その先に希望があることを信じて終われることこそが、この本の救いなのだろうから。