昭和の洋食平成のカフェ飯 家庭料理の80年

昭和の洋食 平成のカフェ飯―家庭料理の80年

昭和の洋食 平成のカフェ飯―家庭料理の80年

メディアを題材に家庭料理の変遷を昭和前期、昭和中期、昭和後期、90年代、2000年代に分けて考察した本。以前新聞の読書欄に紹介してあって気になって手に取った本です。取り上げられているのはドラマや映画、テレビ番組にマンガや小説、レシピ本など多岐にわたっています。例としてあげると、おひさま、カーネーションきょうの料理、お茶漬けの味、寺内貫太郎一家主婦の友金曜日の妻たちへ美味しんぼクッキングパパ料理の鉄人オレンジページ、イマジン、八日目の蝉、花のズボラ飯マルモのおきてきのう何食べた?、男子ごはん、すいかなどなど。
メディアは社会を映す鏡です。社会そのものをそのまんまうつしてるとは限らないけれど、影響を受けてることは間違いないです。物語であれば現実をデフォルメしてみたり、理想を描いてみたり。料理番組やレシピ本にはそれを考えてみていくと非常に興味深いものが見えてくるのだというのがよくわかります。
面白いなあと思ったが冒頭にあったおひさまとカーネーションの食卓の比較。どちらも昭和初期の食卓が出てくるのですが、その描き方は違います。洋食が広まり始めていたのが昭和初期。20世紀初めに女学校に進学する女性が急激に増え、調理実習でオムレツやシチューなどの洋食を習い始めた時代です。おひさまでは徹底して和食の食事が出されています。洋食が出たのは茂樹兄さんの受験準備でとんかつを出すシーンだけ。しかし当時の世相と瑤子が女学生であるということを考慮すると洋食が少ないのは不自然ではないのかと著者は指摘します。それをドラマ全体と照らし合わせた結果、理想の昭和を描くためには食卓も和食でなければいけなかったからではないかというふうにいうのです。なるほど、そういう解釈もあるんだなあと。確かにおひさまはそういう節のあるドラマでした。それを思えば、テーマをよりよく表現するための小道具として和食が必要だったというのはわかります。
一方カーネーションでは洋食が入ってくる様子をリアルに描いています。お呼ばれしておばちゃんの作ったカレーを箸で食べる様子や、洋裁の先生のためにお母ちゃんが張り切ってとんかつを作るものの失敗しておばあちゃんの作ったイワシの煮付けを出したら場が和むというシーンがありました。これらは日本人が洋食と出会い戸惑いながらも生活に取り入れていったんだろうなあというのを私たちに想像させます。2つのドラマでそれぞれ違った食卓の様子が描かれているけど、それはどちらがよくてどちらが悪いということではありません。何を描きたいのか、それによって食卓も変わるものだ、そういう話なのだと私は思います。
こういった感じで様々なメディアをもとに時代ごとの日本人の食卓を探っていっています。時代が変わるにつれ、食卓は変化します。食卓は家族の関係性を表現するもののひとつです。私たちの人間関係はどこに向かおうとしているのか。その道筋は食卓の中に隠されているのかもしれません。