八日目の蝉

ダメだ、やっぱり私希和子(壇れい)の母性がどうしても受け入れられない。だってあれを母性っていっちゃっていいの? いくら狂気をはらんだものだとしても。母性っていうのは時に人を狂わせる恐ろしいものなんだよってことを言いたかったのだろうと思うけれど、でもそれでも私には無理だ。母性って名前をつければあんなエゴイスティックな行為でさえも感動的なものになりえるんだって言うのは乱暴。
最初はよかったんだけどなあ。回が進むごとに希和子に違和感がどんどん出てきてでも最終回でちゃんと帳尻合うんだよねって思ってみたらこの有様。裁判のシーンで裁判官に促されていった言葉が「5年半もの間、子育てと言う貴重な経験をさせていただいて感謝しています」には口ポカーンです。希和子は薫(小林星欄)と過ごした時間が貴重な時間だというのがわかっているのならば、それを奪ってしまったということがどんなに大きな罪なのかもわかっているはず。でもそこを華麗にスルーして感謝って言われてもなあ。薫だって人生を狂わされてしまったわけなんだし。希和子が誘拐しなければ、薫にだってもっと違った人生を送ることが可能だったのに。なんだかんだで希和子に罪の意識が希薄だったというのが見ていて最大の違和感でした。私はどうしても奪った側の希和子より、奪われた側の秋山家の不幸のがよっぽど心に響きました。
アイシテル〜海容〜を見ていたときにも思ったんだけど、加害者側を主人公にして話を作るっていうのはすごく難しいんだなあと改めて感じました。こちらも見ていてきよたん一家*1がかわいそうで加害者一家に対して違和感がありました。加害者サイドを主人公にして物語を作りたいのならば、ノワールとして突き抜けちゃうしかないのかなあと。悪の魅力を出し切るというか。中途半端にしちゃうとどうしても被害者サイドに気持ちが入れ込んでしまうし。やはり被害者サイドに感情移入させないよう作っていくのしかないのでしょうかね。難しい。

*1:そういえばこちらも被害者の母は板谷由夏