コスメの時代―「私遊び」の現代文化論

コスメの時代―「私遊び」の現代文化論

コスメの時代―「私遊び」の現代文化論

80年代からゼロ年代までの女性のファッションと化粧についてまとめた本。なるほどーそういう事なのかーという部分とちょっと違和感あるとこと色々ある本でした。私が子供時代のファッションと化粧について論じてる部分は、なるほどーと思いました。服には物語があり人々は物語をきていたというのは面白いなあと感じました。それがリアルクローズ時代に入って服に物語が必要とされなくなっていったというのはまあなんとなくわかります。確かに今、私たちは服と物語を結びつけて考えたりはしません。
しかし世の中は一億総物語社会です。サッカーやればマスコミが選手の物語を見つけてきてみたり、一度社会を騒がす事件が起これば背景の物語を頭に思い浮かべてみたり、アイドルの裏側を努力の涙の物語に仕立て上げて感動させようとしてみたりと忙しいものです。なのに服はただのものに成り下がってしまった。服は物語性よりも着る人のキャラの引き立て役に回ってしまったから。なるほどねーなるほど。確かにファッション誌見てるとその傾向はあるかと思います。
ファッション誌にモデルが前面に出るようになり、エビちゃんOLみたいなキャラ立てをした服がバカ売れしてるって話を本気でエビちゃんになりたいと思って買っているっていうのにはちょっと首をかしげてしまいます。いやいやいや、私ら読者ってそこまで頭の中お花畑じゃないですよ。いくらエビちゃんが着ようが売れない服は売れないしね*1。モデルと自分のスタイルの間には天と地ほどの差があるのは普通はわかるよ。だってファッション誌ってあくまでカタログのひとつでしょ?っていうふうに思うんですけどねえ。ファッション誌が物語をリードしてる時代が終わったのならば、そうでしょ? カタログに自分を同化させて遊んだりはしないですよ。そこらへんの距離感はとれますよ。人気モデルをつかむことでリードしていってるのは事実だろうけど、カタログと自分の区別はつくもの。

*1:キャンキャン時代かアネキャン時代か忘れたけど、エビちゃんがへんちくりんなマントを着せられていたことがあった。さすがにこの服を素敵に見せるのは難しいと思ったのか、エビちゃんはなるべくへんちくりんマントが見えないように工夫したポージングをとっていた。まあでもそれしかやりようないわなーというひどいスタイリングだった。モデルさんは与えられた服着るしかないからね