リーガルハイ

リーガルハイ2期の発表があった当初、羽生投入によって恋愛要素がプラスされることについて「リーガルハイにはそういうのはいらない」などと言われたりしていたものの、終わってみたらラブばかりが頭に残る最終回でした。まさかの公式が最大手なんてね、やるとは思ってなかったんだもの。視聴者はみな気づいてたけどね、羽生のラブの先が黛通り越して古美門に向かってるなんてことは百も承知だったけどそれをオチにもってくるは思ってなかったんだもの。あーもう、負けましたよ、ええ。面白いくらいに手のひらの上で踊らされていました。羽生の持っている黛の写真には必ず古美門が写りこんでいるというのには気がついていたけど、アラブネタもこのためのねたふりだったなんてなあ。視聴者の脳内だけではなく公式に採用されたこの設定を頭に入れた上で再度1話から視聴したいと思います。
まあそんなこんなで見終わってしばらくはこのことで頭パーンとなっていて他のことに考えが及ばなかったんだけど、貴和の事件は実にリーガルハイらしい決着のさせ方だなあと思いました。真実は藪の中、与えられた事柄をもとにどう再構築するかによってどの立ち位置をとるかによって真実なんていかようにもすりかえることができてしまう。これはリーガルハイ1期の1話の繰り返しでもあります。リーガルハイという物語の核はここにあるのだと私は考えます。私たちは本当に真実を求めているのか、真実を必要としているのか、それすらも藪の中なのでしょう。
古美門から羽生へと贈られた「醜さを愛せ」という言葉は重いですね。人間はずるくて汚くて見にくい業の深い生き物です。だけど、それが人間なのだ自分なのだと自覚してこそ先に進めるというのもあると思うんです。みなが幸せになれる世界はみなが同じ方向向いていることではけっしてない。向いてる方向はバラバラでいい、というかむしろバラバラのほうのがいい。そこのとこを羽生は間違えちゃってたんですよね。でもってそういうことに気がつかない人というのは案外多いのではと思います。
半沢が視聴率的に大ヒットを遂げたあとだったので前シリーズとは違った難しさもあったでしょうが、終わってみればやっぱり楽しかったです。それは核の部分を大事にしていたからでしょうね。これがなくなったらリーガルハイじゃないっていうのを曲げなかった、それにつきます。