フィルター

「人は見たいように見て、聞きたいように聞いて、信じたいように信じる」これはリーガルハイ2期の9話での古美門のセリフです。人は誰もが自分というフィルターを通してしか世界と対峙することはできません。ただ、そのフィルターから見える世界こそが全てであり正義を行使すべきだと思うのと、自分のフィルター以外にも違うものがあると認めそことの齟齬をどう埋めていくのかを考えていくのでは同じフィルターを持っていても違った世界が広がっているのではないのかと思います。
なぜ今そういう事を考えているのかというとですね、オリンピックシーズンでスケート界が選手をはじめとした関係者はもちろんのこと、ファンがすごくピリピリしてるからなんで。ネット上はファン同士ギスギスしてるしもちろん会場でも不快な思いをされる方はいるし先日行われた福岡でのGPFではついにジャッジにヤジが飛ぶわでもうなんていうか、オリンピックシーズン怖いなーと身震いしているとこです。
ジャッジに関しては先日も書いたとおり、わからないこともいっぱいあるけれど私は基本信頼したいです。大体において素人の見立てとプロの見立てが同じならばプロの意味なんてなんだし。どこぞの記事が書いてたように観客による投票も入れたらそれこそ人気投票にしかならず競技としては終わりだと思います。もちろん一般の観客にもわかりやすくする努力は必要でしょうがね。
ジャッジの採点をどう見るか、出てきた採点をどう選手は受け止めているのか、それは同じようでいてそれぞれ別のことなのではと思います。「不当に厳しく採点されている選手がいる一方、特別甘めに採点されている選手もいる。そんな不公平なのでは選手がかわいそう。競技として終わっている」という人たちもいます。うーん、今一生懸命頑張っている選手たちに対してあなたたちのやっているのは競技として終わっているというふうに言うのは失礼なんじゃないのかなと思います。選手の中にはすっぱりスケート界とは違うところに行く人もいるけれど、コーチや振付師やジャッジになる人たちもいます。もちろん、選手を応援するあまりそのようなふうに考えてしまったというのだろうなあというのは想像できるけどなんだかなあと。まあこれがオリンピックシーズンってやつなんでしょうね。ファンがヒートアップしてしまうのもやむなしかもしれません。来シーズン以降はまたまったり見れるようになるといいなあ。
すべての選手にとってひとつひとつの試合全部が大事な試合です。だからこそ、私たちにできるのは応援することのみ。それだけなのです。選手たちが全力を出して練習以上の力が発揮できるように祈りたいです。