純と愛

ううーん、遊川さんは伝えたいこと描きたいことはあったんだろうけどそれを物語という形式を通して視聴者に上手に伝えようとする気はなかったのかなあと思いました。見せ方を変えれば、もっと違った物語になってたはずなのに結局はこういうふうにしかできなかったのは残念。見てるとどうしても遊川さん自身がちらついてそれが物語を見るのに邪魔をしてたのが気になりました。はらちゃんと並行して見てたせいか、神様の話をされると何とも言えない気持ちにもなりました。いやだって純と愛の神様は遊川さんじゃあないのって。まあもちろん遊川さんは別に自分のことを神様だという設定で書いてるわけじゃないので齟齬をきたすわけではないのだけど。純と愛に限らずだけど、作家性が前面に出るものだとどうしても作者=神様というのを受け手が意識してしまうんですよね。そういった創作物で神様の事を登場人物に喋らせる難しさはあるなあと感じました。
それにしても、これ高々1年くらいの話なんですよね。女の一代記ではなくたった1年ばかりの間に最初に就職したホテルは乗っ取られ、実家のホテルは父が売り払い、どん底の純を拾ってくれたホテルは火事でなくなり、やっとこさ手に入れたホテルを魔法の国にしようと奮闘してる最中にオープン前の台風でしっちゃかめっちゃか。父は亡くなり、母は若年性アルツハイマーで娘のこともわからなくなってしまい、最愛の夫である愛くんは脳腫瘍で植物状態。あまりにも盛り込みすぎじゃあないでしょうか。なんていうか、ケータイ小説っぽいなあと思ったりも。
半年を振り返ってみれば、なんだかんだで前半は楽しく見てたと思います。後半に入って、前半と同じことの繰り返しになっていったあたりからどうにも視聴意欲が失せていったのがきつかったです。でもってそこに狩野家の父と母の不幸。善行というあくの強いキャラをどう攻略するのかと思ったら死んでしまったり、晴美という魔女の呪いをどう解くのかと思いきや若年性アルツハイマーに罹ってしまったりというのがどうにももやもやしてしまったのです。死や病気というイベントで中和するってのはあんまり好きなやり方じゃないから。もっと違った形で狩野家が家族としてまとまる姿を見たかったです。それが見れると始まった当初は期待してたんだもの。
色々とあったドラマだけど、試み自体は面白かったと思います。万人受けする手法ではなかったけれどね。良くも悪くもあくが強いのが遊川さんなんだもの。
さあ、次はクドカンの朝ドラあまちゃんが始まるよ! キャー楽しみ! 毎朝クドカン祭りだなんて幸せすぎるー。