てのひらの中の宇宙

てのひらの中の宇宙

てのひらの中の宇宙

再発したがんの治療で入院をしている妻今日子、その帰りを待つ夫の崇と保育園児のミライとアスカ。そんな彼らの生活を連作短編の形で描いたのが今作です。この本の語り手は「ぼく」こと夫であり父である崇です。崇は息子のミライの溢れる興味を上手に言葉で導いてあげるお父さんなのです。それは5歳の男の子らしい興味の発露であったり、母の病気によって身近に感じた死についてであったりします。身近なところからスタートして少しずつミライなりに理解を深めて宇宙にまで思いをはせるくだりは面白かったです。子供って大人がうまく関わればどんどん世界が広がっていって親が想像してるとこをポーンって飛び越していっちゃうのですよね。
5作の中で唯一今日子が語り手なのが「巨大カメと無限の散歩」。それまで詳しく説明されることがなかった今日この病気と気持ちがここで明らかにされるのです。

抗がん剤治療が山場を迎える。体力の衰えで、点滴がことさらつらい。
鏡に映る自分の顔は、さすがにやつれている。
痩せすぎてはいけない。体力が戻らないと、抗がん剤の点滴が終わった後でも病院に留め置かれる。
わたしは早く帰りたい。崇と子どもたちのもとへ帰りたい。
だからちゃんと食べる。吐いても食べる。泣くのに体力を使うくらいなら、我慢してふて寝したほうがいい。

このくだりは本当に読んでてしんどかったです。このままがんに負けたくない、もう一度日常を取り戻すのだという今日子の強い意志の表れなわけですが、読んでて感情移入しちゃって。私は大きな病気をしているわけでもないし、このような経験はないのだけどそれでもやっぱり身に迫ってくるものがあるのです。
この小説は色んな見方ができます。父と息子の物語、理系科学小説、子供の世界が広がって認識していく様を追随して楽しむ小説、などなど色々あります。だけど、私は死を見つめる家族の物語というのが最もフィットしました。きっと読む人によってそれは変わるんでしょうね。そういうの込みでも興味深い本でした。
立派な科学少年となったミライがどのように成長するのか、そこに想像の余地を残しながらページを閉じました。川端作品らしい、優しさのある本でした。