伊藤くんA to E

伊藤くん A to E

伊藤くん A to E

伊藤くんをめぐる5人の女達の物語。構造としては柚木版ニシノユキヒコになるんだろうけど、全く違う読後感の本でした。出てくるのは伊藤くんに恋するアパレル店員、伊藤くんに言い寄られる女、伊藤くんの後輩で彼に恋する女とその友人、伊藤くんの先輩の脚本家。彼女らは伊藤くんという鏡を通して自分に向き合います。向き合いたくて向き合うわけじゃないからその鏡をのぞくのはしんどい。だが、覗かざるをえないのは鏡が目の前にあるから。そして鏡がうつしているのは理想の自分ではなく、現実の自分。見たくて見るわけではない自分がそこにはいるのです。伊藤くんをめぐる女達はそれぞれ全く違う立ち位置の人たちです。だけど誰もが彼を鏡にしてしまう。そして、鏡にさよならを告げて鏡を踏みつけて彼女たちは巣立っていく。鏡は鏡のまま、ずっとそこに居続けるのに。

何も生まないのにここに出入りする伊藤は、それだけで莉桜にもクズケンにも勝利しているのだ。そのことに、莉桜はやっと気付いた。伊藤は勝ち続ける。周囲の人間を傷つけ続ける。たぶん、一生。勝てるわけがない。だって、伊藤は永久に土俵に立たないから。愛してもらえるのを、認めてもらえるのを、ただ石のように強情に待っているだけ。自分を受け入れない人間は静かに呪う。結局、自分から何も発さない人間がこの世界で一番強いのだ。常により多く喋る莉桜の負け。彼の前では、どんな人間でも散っていく。伊藤は最強だ。伊藤の前ではあれもが敗者だ。

引用したのは脚本家の莉桜と伊藤くんの話からの引用。この話だけは他の4つの話とは少し毛色が違っていて、滑稽にしか見えていなかった伊藤くんのモンスターのような心のうちが見えてゾワっとしました。だから伊藤くんは滑稽に見えてたんだなっていうのもわかって余計にゾワゾワしたのです。そしてそのモンスター性は何も特殊なものではなく、普通の人の中に紛れてる実に普遍性のあるモンスター性です。何も差し出さずにいれば、土俵に立ちさえしなければ自分は負けない。でもそれって本当に勝ったといえるのでしょうか。安全圏に身を置いて高みの見物ごっこから生み出されるものってあるのかな。
あと、脚本家の話ということで柚木さんの創作論的なものが垣間見えて興味深かったです。何かを生み出すためには何かを差し出さないとできない。故にそこに創作者の業というのも出てくるんでしょうね。でもだからこそ、私はそういう人たちの生み出すものが好きで追いかけ続けるのだろうなあと思いました。