悶絶スパイラル

悶絶スパイラル (新潮文庫)

悶絶スパイラル (新潮文庫)

あー面白かった! しをんさんのエッセイはいつ読んでも楽しいな。はずさないわーステキすぎる。そんな中、しをんさんが某2人組の歌詞に興味を持たれたのが気になるところです。ええ、そうなんですよ、あれは私も度肝を抜かれたものですよ。あそこまでやられると「キャーもう!」っていって身悶えたらいいのか、そのような餌を与えられてどうしたらいいのかリアクションに困ったものでした。
あれが面白かったこれが面白かったというときりがないんだけど、それとは違ったところで文庫版あとがきの話が興味深かったです。

文庫化の作業をしていて、いつも思うのは、「なんだか楽しそうだな」ということだ。(中略)エッセイなので実際にあった事柄を書いているわけだが、それはあくまで「私」の視点で見た「実際にあった事柄」である。そして、その「私」も、日々刻々と移り変わっているわけで、今の私とはどこかがちがう。
結果として、たった数年であっても、時間を経てから読み返すと、フィクションのように感じられるというか、「なんだかこのひとたち、楽しそうだな」と他人事みたいに思える。(中略)
しかし、それは逆に言えば、今のこの瞬間、特に楽しいことなどないように思える毎日にも、実はいろんなドラマがひそんでいる、ということだろう。そのことに気づけないまま過ぎていってしまう日常も、「記録」や「記憶」に残した時点で、「フィクション化(=物語化)」の道筋をたどる。(中略)
物語には、微細な部分にもドラマが宿っているという、このうえなくうつくしい真実を明らかにする機能がある。しかし同時に、事実を都合のいいように(ときとして無意識に)改竄する機能もある。
ひとはなぜ、物語を必要とするのか。エッセイと小説を並行して書くことで、私はいつもこの疑問に直面させられてきた気がする。答えはまだ出ないので、これからもエッセイと小説を書いていければいいなと思っている。

物語の持つ力については、小説やドラマ、マンガなどのフィクションを愛する身としてとても気になるところです。私は物語の力のおかげであれこれやってこれた面もある人間なので、物語がない世界って考えられないくらいなんですね。物語の持つ業深さも考えてしまうし。しをんさんが今後どのような答えにいきつくのかが楽しみです。