カーネーション

気がついたら加速度的にどっぷりはまってました。最近は毎日カーネーションの事をぶつくさtwitterでつぶやいてます。見たら語らずにはいられないドラマなんだもの。語ってることがあってる間違ってるとかじゃなくて見たものをちゃんと消化するために整理するために語らずにはいられないという感じ。あーもう毎日毎日面白いな! 見れる日は朝ネーション昼ネーション夜ネーションと1日3度見てます。だって1度目見たときには気づかなかったことを2度目3度目で気付いたりっていう発見があるんだもの。セリフのない人もちゃんと芝居しててそういうのを見てるのが面白いのです。細かいとこまで神経配って丁寧に芝居が作られてるのがよくわかって楽しいのなんのって。時計やココアに象徴される2人の関係にドキドキしたりね。
今週描かれていたのは糸子と周防さんをはじめとする色んな人たちの隠しきれない恋でした。糸子と周防さんの関係は決して褒められたものじゃあなかった。胸張って世間に言える関係でもなかった。だけどそこをあえて正面きって描いた渡辺あやすごいなあと思いました。ドラマ的落とし所をつけつつも逃げることなく描き切っていた。しかしだが、見ながらチラついたのはもしこの2人の性別が逆だったら全く違った展開だったんだろうなあという事です。糸子が甲斐性があって強い女であったが故にこうなったんだけど、これが甲斐性のある強い男のやったことならば周りからこんなに非難されることはなかったんでしょうね。勝さんの浮気は周りから黙認されていたのに*1、糸子は許されなかった。男女って非対称なんだなあと思います。不平等というのとはちょっと違う。同じ事なのに男がやるのと女がやるので全然違う目で見られたり違う結果が待っていることが非対称なんだと思うのです。難しいですね。

*1:一体どれぐらいの人たちまでしっていたのかは分からないけれどお父ちゃんは黙認してた。