不滅のワイドショー

かつて少女だった頃、ワイドショーや週刊誌などは下世話なおばさんたちのためのものだと思っていた。話題が芸能人のスキャンダルや皇室などで少女だった私には関係ないものだと思っていたのだ。芸能人の話題に関しては無縁というわけにはいかなかったが少なくとも皇室については何故おばさんたちがあそこまで皇室によくも悪くもこだわり続けるのかが私にはわからなかった。

時がたち、私も少女たちからおばさんと言われる年齢になった。40代は立派なおばさんだ。そのおばさんになった私たちだがかつては皇室にさほど興味を示していなかったはずなのに気がつけばおばさん仕草で下世話に皇室を話題にしている友達に引いてしまった。あんなに遠いと思ってたワイドショーや週刊誌的な価値観が具現化されていたという辛み。ヤフコメの具現化ほど辛いことはない。

真偽が定かでない話を元にそれがさも既成事実であるかのようにして下世話に進む会話に耐えられなかった。これはかつて眉を潜めていたおばさん仕草である。私たちは赤の他人の家のことをどれ程よく知っているというのだろうか。税金で暮らしてるんだから口出ししていい権利があると何故勘違いできるのだろうか。私たち庶民の生活だって多かれ少なかれ税金は投入されているというのに。ああ、だから誰もが他人の生き方に口出ししても許されるということか。そんなことなんて絶対にないのに。

「私がもし友達だったら」云々なんて大きなお世話である。何故なら私たちは彼女の友達ではないのだから。赤の他人なのだ。

かつては遠い存在だったワイドショーや週刊誌的な価値観を装備していく様は辛い。そしてそれはあんなに嫌だなと感じているそれらが決してなくなることがないことも示している。世代が替わっても尚、その価値観が継承されてるのだから。なくなることを望む人たちは私が思ってるよりずっと少ないのかもしれない。

なんだかとても寂しいなあと思うし悲しいなあとも思うのだ。私たち、同じものを見ていたはずなのにね。