鈴木先生

鈴木先生(長谷川博巳)が何故このような教育を行うようになったかの過去話は興味深かったです。「今の学校は普通の問題をおこさない生徒の摩耗によって成り立っている」には超納得。確かに手のかかる問題のある生徒に先生が労力を費やさなければいけないのは事実です。彼らをそのままにしておいていいわけがない。でもだからと言って手のかからないこれといって問題が見当たらない生徒をほっといていいわけもないんですよね。表面化しないようにしてるだけで彼らには彼らの思いもある。そういう子たちの摩耗があって今の学校教育が成り立ってるのかと思うと難しいですね。
でもこれは学校だけの問題じゃなくて家庭でもそう。うちは長女が比較的手がかからないタイプで*1だけど次女が色々と手がかかる子なのでどうしても親の目がそっち行っちゃうんですよね。あれこれ見てあげないとかまってあげないとダメって思っちゃってるから。でもそれは長女の犠牲もあるおかげでできてることもあるのかもしれないんですよね。一応、気をつけてはいるつもりだけどそこのところ難しいです。きっと学校や家庭だけじゃなく社会というものが「普通」の誰かの摩耗によって成り立っている側面があるんだろうなあ。普通だから目には見えにくいけれど、でも忘れちゃいけないと思います。
前回から引き続きの性の話はううーん、ちょっとついていけないなあと思いました。前回部分は面白かったんだけどね。やっぱ性の話って男女で非対称なんですよね*2。だからどうしてもそこに考え方の開きが出てきてしまう。そこら辺がちょっと物足りなかったです。

*1:いわゆる大人にとって扱いやすいタイプ。時に反乱をおこすこともあるが基本ラインは変わらず。でも色々ためてることもあるんだろうなあきっと。ごめんよ。

*2:処女性は大事にされるのに童貞性はそうではないとか。