失恋ショコラティエ

全11話が終わって見れば、このドラマは自らの頭の中で作りだした幻想という沼を抜けだし現実とどう折り合いをつけていくのかというお話でした。妄想の世界ってやっぱり楽しいんですよ。だって自分の好きなようにできるんだもの。何よりも、傷つく心配がないのは大きいです。現実はそううまくはいかない。みんなが自分と同じで話し、他人は自分の妄想通りには動いてはくれないもの。妄想の世界に引きこもっていればいつまでも楽しくいられるのかもしれないけれど、それでは本当の意味で先に進むことはできません。前に進みたいならば現実と向き合うほかはないのです。都合のいい妄想の世界から抜け出し、現実と向き合うのは楽しくはないし苦しいし逃げたい時もある。だけど、それを避けては生きてはいけないんだよなあと思うのです。
ソウタにとってサエコは幻想だという指摘をサエコがしたというのがなんとも興味深かったです。サエコ自身もソウタとの時間が逃避であるという自覚があったからなんでしょうねえ。本当ならばもっともっと幻想の時間を楽しんでいたかったサエコが妊娠という現実を突き付けられて生活に帰っていくというのが幻想の限界を表してるのかなあと思いました。幻想も現実もどちらも限界がないようであるものだから。
思えば、モラトリアムを抜けて大人になるお話でもあるんですよね。モラトリアムの中でもがく人間が年齢的なことだけでなく社会的に見ても大人である人間であったというのがとっても現代的なドラマだったなあと思います。そうたは自分がオーナーである店を構え、サエコは結婚をしている。まあ傍から見たらどう考えても大人なわけです。だけど、彼らはモラトリアムの中にまだまだいたというのが今を切り取る連続ドラマという性質とうまくマッチしてるんですよね。面白いなー。
このドラマは妄想と現実をあえてくっきり境界線を作らないように見せてたのがとっても興味深かったです。でもってこの演出が失恋ショコラティエというドラマの肝だったのではと感じます。久しぶりにどっぷり楽しく見ることができた恋愛ドラマでした。